七二八五写真缶

バイクと写真とぶらりと旅

期待と現実

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写真とは関係のない事をちょっとだけ。

地元の珍しい場所をネットで探していたら、興味を引く知らない場所があったので行ってみました。駐車場が無いから近くでレンタサイクルして。

某所にたどり着きその場所の関係者の方がおられたので、見学を申し出てみると「観光なら基本的に断っている」との事。

ネットでは見学している人がいるのに何故だろうと、ちょっとだけその理由を尋ねてみると「ここは神聖な場所だから」との返答。なるほど、神域ということですね、と納得し帰りました。

帰りつつもただちょっと気になった事があります、関係者の方はこうも言われました「どうしても見学したいなら見学料(実際には別の名目ですが伏せます)で千円支払ってください」と。

気になったのはその料金についてはどこにも注意書きが無くお店を構えているわけでもなく、事前に調べてもそのような記述も無く、関係者の方へ渡すだけのお金のような気がしました。

その関係者の方がその場所のどのような関係者かもわからないので支払いませんでしたが、だからと言って悪い何かというわけではないと思います。神域にはそれなりの掟がありますから。郷に従えというやつです。

何か腑に落ちない事もあり友人にその話しをして見たところ、色々と噂がある場所のようで。以前は市の観光案内もあったようですが現在は取り下げられているようです。何故でしょう?

まぁそこらへんの話しは深く考えません、ただそういう場所が地元にもあるのだという事。

そんな経験をしました。

 

経験に無駄なものは無いとよく言われます。しかし、経験をしなくて良い経験もあると思う。

行動したことにより、やって良かったと思うか、やらなくて良かったと思うか。それは行動しなければわからない。

経験をした事で、その行動が良かったのかそうでもなかったのか、それがわかるだけでも無駄ではないと思います。

ただ、無駄だったと思ったときの脱力感は否めません。例えそれが貴重な経験だったとしても。なのでそれは伝えていくべきです。

つまり何が言いたいのかというと、今回の件が期待していた結果とかけ離れていた事に対して、無駄と思わないように自己弁護しているだけです。

今回の件は詳細をかなり省いているので理解しがたいと思いますが、なんかあったんだなと思ってみていただければそれで結構です。以上。

 

それじゃあ、また!