島根県浜田市キャンプツーリング
第14回島識撮影ツー(無理がある略)で他に色々撮ってた写真です。
松江~尾道線にある道の駅たかので休憩、中国道の吉和SAで休憩、小腹がすいたのでポテトを食す、塩が偏ったからしょっぱい。あと箸とか爪楊枝がないから手づかみで熱かった。
六日市ICで降りてすぐのところで荷物チェック、異常なし。このまま撮り忘れの224号へ向かう、けど、ここから30分ぐらいかかって妙に疲れました。高速降りて休んでないから仕方なし。
無事224号の撮影も終わり浜田へ向かう前に益田市内で昼食を摂る。おたまが邪魔だった。
浜田市内で標識を撮影しつつ浜田へきたら見ておきたかったものに出会う。浜田高校併設の「歩兵第21連隊跡」にある立哨台。実物見るのは初めてでした。
この地にその昔あった事は事実であり残すべき遺構だと思います、全国にもこういった軍事遺構は沢山あります、これを見て何をどう思うかは個人の考えですが、一概に否定も肯定もできないような、そんな気がします。
他にも見たい建物はあったけどあまりうろうろするとアレなのでこれだけみて移動しました、満足。
この日予定していた標識撮影も終わりキャンプ場に行く前に、美都温泉に行ってきました。ただこの温泉までの道のりが遠かった、キャンプ場から20分ぐらいあった気がします。温泉は気持ちよかったです。大人420円で浴場はまぁそこそこの広さ、ぬめりのある泉質でお肌すべーすべー。
さて、キャンプ場にやってきました、ここは「道猿坊公園キャンプ場」で利用料は無料、但し事前予約がいります。
駐車場は普通車30台は停められるほど広く、流しやトイレ、水道(生水なので飲用不可)があり十分な設備があります。
んで、やってきたはいいけど、午後5時前でしたが……
だぁ~れも居ない!一人も居ない!自分だけでした。連休だから1,2組はいるかなぁって思ってたけど、まさかの貸切状態。
ある意味気兼ねなく自由に使えるから良いかなぁって思ったけど駐車場にタイヤで円を描いた例のアレがついていて「うわぁ輩がくるのかぁ…からまれたらヤダな」と凹みました。
←例のアレの跡
まぁ嘆いても仕方が無いし他所に移るわけにもいかないので(時間的に)ちょっと奥に行ったところにテントを設営しました、あと悪いとは思いつつも誰も居ないという理由でバイクを場内にいれテントの横に停めました。これだけでも凄い安心感がえられます。
さて、ここからちょっと長くなるので飛ばしたい方は次の写真までどうぞ。
キャンプにはハプニングがつき物なんて良く言いますがまさに起こりました、ハプニング。
テントを設営し終わり一息ついたのが18時ごろ、夕飯にはまだ少し早いのでテント内で本を読みつつ身体を休めていました。その内時間も良い頃合になったので、お湯を沸かしカップのうどんを準備していたその時です。
「…ん?箸が無い……あれ!?箸が無いよ!!」
カップのうどんを買った買い物袋に箸が入っていなかった。今回はコンビにではなく某ドラッグストアで買ったからか箸をつけてもらえなかったようです。即席ラーメン等買ったら大概箸がついてくるものだと思い込んで確認しなかったのが今回の大慌てに繋がってしまいました。
箸が無いからうどんは食べれない、でも腹は減ってるから食べないわけにはいかない、、もしかしたらカバンかどこかに予備の箸か箸に代わるものがないか探しましたが、見つからず。
最終手段として、スープを出来る限りすすって、残った麺と揚げをすすり食べようと決めました。そして出来上がったのでスープをすすっていると、ふと目の前のある物に気がつきました。
「コレ、使えないか?」
と言って見た物は、カップの蓋。これを細長く丸めて二つに折ればトング状になると思いつき早速やってみる事に。
結果、掴めはしないけれども引っ掛ける事ができました。その瞬間脳内で『隊長ばんざーい!隊長ばんざーい!』と喝采が上がったのは言うまでもない。
どうにか無事?に夕飯を終えると辺りも暗くなりテント内でランタンを灯し、またしばらく本を読んでいました。すると、外から何かの物音が聞こえました。人ではない音、恐らく獣の類だと思います、一応何かあったときのためにテント内に最強の武器、ネイルハンマーが置いてあります。いざとなったらこれで…無理か?
などと考えていたらいつの間にか音は消え静寂が戻ってきました、ホッと安心してまた本を読む事にしました。
ふと気がついたら20時前になっていたので外の事も気になるし、トイレついでにテントから出てみると。
真っ暗、闇、灯り一つない黒、場内にライトが一つもない。さすがに驚きました。怖いと思ったけどそれは心霊的な怖さではなく、獣(熊・猪)や人(輩)に襲われたらどうしようか、と言う怖さ。周囲を警戒しつつ小さいランタンを手にトイレまで往復。トイレの電気はつきました、ここで人口の光がどれだけありがたいか身に沁みました。電気ってステキ!
まだ20時すぎなので寝るには早いかと思ったのでしばらく本を読んでました。(さっきから読んでいる本は、平安時代の貴族、主に女性の生活を書いたものです)この本が面白くて、気がつくと22時前になってたのでここらで就寝としました。
ただ、ランタン消すと真っ暗なので小さいランタンをぶら下げて小さい灯りの下、寝ました。この灯りだけでも安心感を生みます、馬鹿になりません。
そんなこんなで翌朝5時半起床、もうこの頃になるとしらじらと明るくなっていたので昨晩ほどの怖さはもうありません。
朝食を摂り、撤収作業を終えて、出発したのが7時ごろ。
さぁ、今日の撮影頑張ろう。
以上がキャンプ場であった出来事でした。
翌日の標識撮影に行く前にどうしても寄りたかった場所が広浜鉄道の今福線の4連アーチ郡。こんなステキな場所があったのに第13回の撮影時に気がつかず通りすぎてしまってました。
この今福線の工事を手がけてきた人達はどんな思いでいたんでしょうね。事業が凍結・廃止となり列車が通る事なく終わったトンネルやアーチ橋、眺めていると何とも言えない気持ちになりました。
今回の標識撮影も終わり見たいもの見れたのであとは帰るだけ、途中で道の駅サンピコごうつに寄り疲れた身体を癒すソフトクリームを食べました。美味い!
標識撮影も残すところあと僅か、近日中に全て終わらせます。
では、また。
第14回 島根県道標識撮影ツーリング
来たよ来たよ来ましたよ、行ってきました、撮り残し…この撮り残しがなければもう少しゆっくりできたのに。
って事で、今回は距離が距離なので島根県浜田市でキャンプをする事にした撮影ツーリングです。
いよいよ大詰めラストスパートあと一歩、思い返すにはまだ早い、全て終わってから全てを思い出そう。
では、今回の標識達をご覧あれ。
天気がすこぶる良く防寒対策に着込んできたけど汗が出るほどでした。そのせいか、はたまた単純に疲れてたせいか、この回最後の206号を手作り標識で撮って帰路途中の道の駅サンピコ江津で休憩によってバイク停めて降りてジャケット脱いで後ろを見た瞬間ギョッとした、手作り標識取り忘れてた。
結構な距離あったけど落ちることなくしっかりついてたからよかったけど、もし落ちてたら探しに戻ってたかも。
後ろにつけてるの見つけた瞬間しばらく動けませんでした、ショックと驚きと驚愕で(くどい)
この224号は鹿足郡・益田編の時に発見できず撮り忘れてたわけですが、今回この道を改めて通ったら、信号の影に隠れるように224号の案内版こと付箋(通称・卒塔婆…らしいですが、私はこの卒塔婆って言葉が好きじゃないので付箋と呼んでます。だって卒塔婆ってあんた、あの世への案内板かぇ?と思うわけで)がありました。わかるか、そんな所にあるなんて。
339号は見ての通りバイクを近くに停車できない位置にあったのでこんな写真になりました、まぁこれはこれで味があるか?
以上で今回は22線撮影終了、合計229線完了。残り、9線。
言う事は今は無いです、最後まで気を引き締めつつ事故の無いよう撮影してきます。
それと、今回浜田市まで行く機会が得れたので色々と見ておきたかった物の撮影もしてきました、キャンプ場も含め、その報告はまた後日。おまけも次回。
では、また。
盆休みツーリング
ぼぼぼーん。
盆の連休(3日間)でどこか遠くに行こうかと思ったけど、暑い、の一言でやめた根性の無いワタクシ。
とは言え、どこにも行かないのもどうかとおもったので手ごろな距離でイイとこがないかと地図を眺めていたら、あった。
場所は、安来市広瀬町で目的の物は「婿来い地蔵・嫁来い観音」です。えぇまぁそーいーこと。
場所が場所なのか、単純に知名度が低いからか、自分以外誰もいませんでした。まぁ縁を願うなら出雲大社や八重垣神社等のご利益のある有名どころが沢山あるから皆そっちへ行くんでしょうね。
でも、人知れずこういう所もあるよってね。
「嫁ぇぇぇ」と、マジ拝みしてきました(涙)
さて、同日同市同町を走っているとダム発見。ダムを見つけて立ち寄らないでどうする。んで、山佐ダム。
ダムでした。
バイクを停めたとこの案内板に係員呼び出しボタンがあって、どうやらここのダムの説明をしてくれるようです。ダム好きなら話を聞いてみてはどうでしょう。
次の日、ふらりと寄ったのが松江市朝酌町の「多賀神社」得に有名な神社では無いと思います、ただこの神社は地元の人達には「アシダガさん」と呼ばれ親しまれているそうです。
「アシダガ」何か聞き覚えのある響き、「もののけ姫」の「アシタカ」に似てます。もしやここが「アシタカ」の由来か?と思って調べてみたら、全然違いました。
たたら製鉄の事もあったんでもしやと思ったんですけど。
参拝して一通り写真を撮って帰ろうと振り返ると狛犬が気になり近くによって見ると、あら、お腹の下に小さい狛犬がいるじゃないですか。
子供の狛犬って初めてみたなぁ、と。
和みました。
子供の頃はこの廃船が20~30隻ぐらいあったと思います。小さい頃はこの通りを通るたびに廃船群を見るのが好きでした。
何故廃船があるのか、それは消波のために置かれていたそうです。やがて時が経ち沿岸の整備が行われる際に廃船のほとんどを撤去してしまい、残っているのはこの1隻のみ。
消波の役割が無くなり、それと景観が悪いってのがあっての撤去でしょうが、ちょっと残念です。写真撮っておけば良かったなぁと悔やまれます。
廃船見ながら黄昏中。
っとまぁ、こんな盆休みでした。
~お・ま・け~
某所にて怪しい河童を発見。
…何故そこから水を出すかね……
涼を求めて
西へ東へ。
休日前に同僚と涼しい場所の話をしていたら「八雲風穴」はどうか?と言われ、そういえば行った事ないなぁって、で、行ってきました。
この日は天気がやたら良くて、34℃近くはあったんじゃないかと思います、バイクを走らせても温い風を浴び続けたら疲れるそんな日。
さて、到着するとそこは、山の中。の割りに、観光客が多かった、やっぱりこの時期は有名な場所のようです。
行った事のある同僚の話では涼しいというより寒い、と聞いてたのであえてジャケットを着たまま突入を試みる。
入り口前に受付があってそこで入場料(大人200円)を支払い、小さな扉をくぐると……
あら涼しい。涼しいというか、ジャケット着てるから汗を引かせるには丁度いい感じ。
室内に温度計があったから見てみると、12℃ちょい。人が沢山入ってたから若干高めになってるらしい。それでもTシャツで入ってきた人は寒い寒いと連呼してので、やっぱり寒かったんでしょうね、ちょっとだけジャケット着て入ったのを後悔しました。あの寒さを体験しとけばよかった。
一通り涼んでから外へ出ると、まぁ暑いわな。そら20℃近く差があるんだから身体の調子がおかしくなる。
おかしくならないようにしばらく外の木陰でボーっとしてたら、ふいに後ろから「大将、大将」と声が聞こえ、何かと思って振り返ってみると、地元のお婆さんが自分を呼んでるようだった。
何やろ?と思ったら、そのお婆さんの後ろに売店があってそこの若奥さんが「ごめんけどコレ付けてくれない?」と手に売店の旗を持ってシャッターの前に立っていた。了解把握。
俺「高さココでいい?」若奥さん「限界まで頑張って」俺「もう限界なんスけど」若奥さん「じゃあオッケー、ありがとう!」
と、風穴で涼んで心も身体も気持ちも良くなり、ちょっとしたふれ合いで和んで、さて帰るか、と思った時にふと目に留まった物があった。
風穴から少し離れた場所にそれは静かに立っていた…
何か気になったので近くに行って見ると、どうやら石碑のようだった。相当古い碑らしく文字が刻まれているが読む事ができない。どうにか年号だけでも読めないかと碑の周りをぐるぐる回っていると、「読めますか?」と声がした。
振り返ると先ほど売店で「大将」と呼んでいたお婆さんだった。
「いやぁちょっと読めませんねぇ」「それはね、昔の朝鮮戦争の時の石碑だそうですよ」「あ、慰霊碑なんですか。じゃあ、ここから出兵された方が居たんですね」「えぇ、その石碑があるところに以前は家があってね、そこの若い方が出られたそうですよ」「ここに家が…」「私も80を越えてずっとここに住んでますが、昔そんな話を聞いたことがありますよ」「そうですか…いや、貴重お話ありがとうございます」
最近は戦争遺構に興味を持ち地元で色々探してみてはいましたが、まさかここで戦争に関わる物を見つけるとは思ってもみなかった。
この慰霊碑の周りだけ妙に空気が違うような気がしたが、そう言う事だったのかと、しんみりとした気持ちになりました。
さて、このまま帰るのも時間が早いので近くの道の駅で昼食を摂り、「もののけ姫」で名が知れ渡った、雲南市吉田町のたたら製鉄の場「菅谷たたら山内・高殿」を見学しようと思い、足を運んでみました。
道中に流れる川が何とも綺麗な川で、バイクや車で通り抜けるには勿体無い道でした。時間と気力と体力があれば散策しながら行くと楽しいかも。
さぁ中の見学しようかなと思った矢先、急に雲行きが悪くなり雷も鳴る始末。これはいかん、大雨に降られても敵わないって事で中の見学はやめました。残念。また今度ちゃんと見学しようと思います。
っと言う事で、この夏の涼を堪能してきました、とさ。
~お・ま・け~
某道の駅で昼食の為入った店、4人掛けのテーブルが2つある小部屋に通された。居心地微妙~
あとから家族3人さんも入ってきて、さらに居心地微妙~
飯をかっこんで早々に出ましたわ。
後日、同僚に訊いたら、その店の隣のお土産やと併設してる飲食店がイイとの事。
…うん、また行くべ。